お知らせ

きのこ会は2025年6月に発足60年を迎えます。

きのこ会 (原爆小頭症の被爆者と家族の会)

きのこ会とは

 きのこ会は、原爆小頭症の被爆者と家族の会です。

 原爆小頭症の当事者となる会員数は2024年9月30日現在で11人です。
(内訳:広島市5人、広島市以外の広島県2人、北海道1人、神奈川県1人、大阪府1人、山口県1人)

 妊娠早期の胎児が強力な放射線を浴びると小頭症の子どもが生まれるということは、専門家の間では知られていましたが、一般に公表されることはありませんでした。アメリカが広島と長崎に設置したABCC(原爆傷害調査委員会)では、原爆投下6年後の1951年から胎内被爆児について追跡調査を行い、早くから小頭児の存在について把握していました。しかし親たちには「この子の障害の原因は栄養失調だ」と偽りを伝え、その存在を隠し続けていました。

 原爆小頭児の存在が市民に明らかになったのは、広島のジャーナリストの調査からです。岩波新書の「この世界の片隅で」で、秋信利彦氏が胎内被爆児の取材を始め、広島研究の会のメンバーたちの手によって、ひとり、またひとりと探し出していきました。当時、研究者たちから家族に対して正しい情報を与えられることはなく、原爆小頭児の親のほとんどは「子どもの障害は自分たちの家族だけのもの」と思っていました。しかも被爆の翌年に生まれた胎内被爆小頭児たちの障害は、原爆によるものと認められていませんでした。

 広島研究の会の呼びかけで1965年6月27日、6家族が集まって原爆小頭児の親たちの集まりが結成。活動の柱を「原爆症認定」「終身補償」「核兵器廃絶」の3点とし、名前を「きのこ会」と決めました。

 「きのこ会」という会の名前には、『きのこ雲の下で生まれた小さな命ではあるが、木の葉を押しのけて成長するきのこのように元気に育ってほしい』という親たちの強い願いが込められています。1967年9月、きのこ会の原爆小頭児6人が「近距離早期胎内被爆症候群」として原爆症認定を受けました。(その後2年以内にすべての会員が原爆症認定を取得)

 きのこ会にはこれまで25人の原爆小頭児が在籍しましたが、うち14人が他界しました。

 人類が同じ原爆小頭症の子どもたちを作らないことを願って、私たちきのこ会はこれからも核兵器の廃絶を訴え続けます。

原爆小頭症 とは

最も若い被爆者

 原爆小頭症とは、母親の胎内で被爆し、強力な放射線を浴びたことが原因で発症する原爆後障害のひとつです。

 「小頭症」の症名のとおり、頭が小さいことなどが特徴で、多くが脳と身体に障害を負っています。

 ABCC(原爆傷害調査委員会)が1972年に発表した調査によると、原爆小頭症の子どもは、広島で48人、長崎で15人の 合計63人いたとされています。

 厚生労働省によると、2024年3月末現在で原爆小頭症と認定された被爆者は全国で12人です。

 胎内被爆者は、被爆後に誕生したことから被爆2世と誤解されるケースが少なくありませんが、原爆小頭症の障害は遺伝によるものではなく、胎児のときに被爆したことが原因です。

 原爆小頭症の被爆者は、母親の胎内で直接被爆した「最も若い被爆者」といえます。

年表

◆1945年8月6日 アメリカが 広島にウラン型原子爆弾を投下
◆1945年8月9日 アメリカが長崎にプルトニウム型原子爆弾を投下

◆1945年9月 GHQがプレスコードを発令 原爆に関する報道を規制
◆1946年 原爆小頭児の多くが誕生
◆1946年 アメリカが ABCC(原爆傷害調査委員会) を設立 被爆者の原爆放射線の影響を調査・研究
◆1950年 ABCCが胎内被爆児の調査を開始
◆1952年 サンフランシスコ講和条約発効により プレスコードが失効
◆1952年 ABCC プラマー医師 広島で胎内被爆児に7人の知的障害のある小頭児を確認
◆1953年 ABCC ストウ医師 広島で13人・長崎で2人の合計15人の胎内被爆小頭症児を指摘
◆1953年 阿川弘之氏『魔の遺産』 ABCCプラマー医師の研究結果として原爆小頭症を小説の中で紹介
◆1954年 ABCC ヤマザキ医師ら 長崎で被爆した女性が出産した子どもに知的障害児の出現率が高いことを指摘
◆1955年 広島大学医学部 舟橋鋭徳医師 広島市の胎内被爆児42人を調査し、頭囲の劣る8人を指摘
◆1956年 ABCC ミラー医師 広島で胎内被爆による15人の知的障害のある小頭症児を確認
◆1957年 原爆医療法制定(被爆者健康手帳の交付など)
◆1957年 記録映画「世界は恐怖する」や週刊朝日が 原爆小頭症の女性を報道
◆1964年 広島大学医学部 平位剛医師 広島の胎内被爆者に9人の知的障害を伴う小頭症を指摘
◆1965年 秋信利彦氏ら広島のジャーナリストたちが 原爆小頭症を調査
1965年6月27日 「きのこ会」結成
◆1965年7月20日 広島研究の会 『この世界の片隅で』出版
◆1966年1月12日 きのこ会成人式
◆1967年 原爆小頭症の被爆者6人が「近距離早期胎内被爆症候群」として認定
 (その後2年のうちに 当時申請をしたすべての会員が認定へ)
◆1981年 原子爆弾小頭症手当 創設
◆1991年 きのこ会45歳を祝う会 事務局が会員に「開かれた会」への転換を提案
◆1995年 被爆者援護法 施行
◆1996年 きのこ会 50歳を祝う会
◆1996年 支援者たちが「きのこ会を支える会」結成
◆2003年 きのこ会会長死去(会長が不在に)
◆2006年 きのこ会 還暦を祝う会
◆2006年「きのこ会」と「支える会」が合併(親の高齢化などで活動が困難になったため)
◆2009年 前会長の次男が会長に就任(小頭症被爆者のきょうだいが会長に)
◆2010年 秋信利彦氏 死去
◆2014年 きのこ会の「最後の親」が死去
◆2023年 きのこ会 喜寿を祝う会

きのこ会からのメッセージ(日本語版/英語版)